GURAPHIC MGNUM
時代の先頭で文化を牽引してきた絵師たちは・・・・・
広告なども日本最高峰のイラストレーターたちが、しのぎを削ってその腕を競っていた。生頼範儀,滝野晴夫、辰巳四郎、空山基・・・・。

 時代は進みパーソナルコンピューターの登場によって表現の分野もデジタル化が進み、現在ではイラストレーターと呼ばれる人たちはひと昔前の手書きのイラストレーターではなく、デジタルで、しかもアニメ調の作品を手がける人たちのことを指すようだ。昔、私が手書きで描いたイラストを納品していた出版社はほとんどが潰れるか、その業態を大きく変えている。

 一時期、日本のカルチャーの一部として貢献したイラストレーションという分野の偉功として少しでも後世に残せたらと思う次第である。

時はながれて.・・・。
私は学生時代、中野で新聞配達をしながら美術学校へ4年間通っていた。当時、憧れのまなざしで仰ぎ見ていたイラストレーターの滝野晴夫さんが近くに住んでいることを知って勇気を振り絞って「絵をみてくれませんか?」と滝野さんに電話をしたことがあった。その時は忙しくて、もう一度連絡してくださいとのことだったが、その後私は勇気をなくして連絡することはなかった。

 私の最初のイラストレーターとしての仕事は富士見文庫の表紙の仕事だった。まだ新聞配達をしていた学生の頃で、仕事の依頼を受けた時は天にも昇る心持ちだった。編集者からゲラ(小説の原稿)を受け取り、それを読んで内容にふさわしいラフスケッチを2〜3枚ほど描いて本制作に入るのだが、リアル系のイラストレーションには資料が一番大事になる。後に手がける対戦ものやサスペンスでは小説の内容に描かれる戦車や武器や列車などは正確性が要求される。そのため神保町の古本屋街に足繁く通うことになる。

 私は美術学校を卒業してすぐにフリーのイラストレーターになるつもりでいたが、一本や2本の仕事では生計を立てられず、とりあえず学校が紹介してくれた会社に就職することになった。その会社は中村製作所(ナムコ)である。聞いたこともない会社だったが絵を描かせてくれるならと入社したのであるが、時の流れは大きなものだ。